主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

創世記44:1-34 「身代わりの愛」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。(ヨハネ15:13)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所には、兄たちがベニヤミンを連れてエジプトに戻って、そこでヨセフに試される場面が描かれています。彼らはそのテストにどのように答えたでしょうか。

1)再びヨセフの前に立つ兄たち
約束を守ってベニヤミンを連れて来たのを見て、ヨセフは兄弟たちを食事招きます。その席でベニヤミンを見て、あまりの懐かしさに席を外してひとしきり泣きました。

2)兄たちを試すヨセフ
兄弟たちの疑いが晴れて帰路に着く時に、ヨセフは自分の銀の杯をベニヤミンの袋に入れさせて、盗みの嫌疑をかけるように仕組みます。兄たちを試すための最後のテストでした。調べを受けて、ベニヤミンの袋からそれが見つかった時、兄たちは全員でヨセフのもとに引き返します。彼らは連帯責任を取ろうとしたのです。

3)ユダの訴え
ヨセフは兄たちにわざと言いがかりをつけます。その時、ユダが口を開きました。「神がしもべどもの咎をあばかれたのです」彼は、この出来事の背後に神が働いておられることを感じていました。かつてヨセフに対して犯した罪も神はご存じで、それを今あばかれたのだと心に示されて、罪を認めて悔い改めたのではないでしょうか。末の弟だけが奴隷となればよいとヨセフに告げられて、ユダは父が末の弟を愛していて、この子を連れて帰らなかったら悲しみのあまり父は死んでしまいますと、必死になって訴えます。そして最後に、自分を弟の身代わりとして奴隷としてほしいと願い出ました。ユダは、それほど父や兄弟たちのことを愛していたのです。かつてヨセフを売った彼の姿からは想像もできないくらいに大きく変えられた姿がここに現わされています。このユダの命がけの訴えを聞いて、ヨセフはいよいよ自分を明かすことを決心します。

4)試練によって成長する
今日の箇所から教えられることとして、2つのことに目を留めたいと思います。一つは、「神は試練を与えることによって私たちを成長させてくださる」ということです。兄たちにとって、この出来事はとても大きな試練となりました。しかし、この苦しい試練を通して、神様は彼らの心を深いところで取り扱ってくださいました。22年間心の中に閉じ込めていたヨセフの事件のことを思い出し、罪の自覚と悔い改めへと導かれ、彼らは変えられていきました。この試練を通されたことで、人間的に大きく成長できたのです。

聖書は、試練の意味について語っています。「試練に会う時は、この上もない喜びと思いなさい」(ヤコブ1:2~4)試練に会って、苦しい中で本当に神様に向き合わされることを通して、何か大きなことに気づかされ、自分自身の成長につながっていくということがあるように思います。また、金が火を通して精錬されるように、信仰の試練によって私たちは練られて、より高められていくのです(Ⅰペテロ1:7)。ヨセフの兄たちが試されたことは、まさに「信仰の試練」となりました。

5)身代わりの愛
もう一つのことは、「身代わりの愛」ということです。ユダは、ベニヤミンを助けるために自分が身代わりになることを願い出ました。そのように、私たちのためにいのちをささげてくださったお方が、一人います。イエス様です。イエス様はこのユダの子孫として生まれてきます。イエス様は、すべての人の罪を代わりに負って、十字架で神の罰を受けてくださいました。私たちの身代わりとなられたのです。

ちょうど80年前、ナチスドイツのアウシュビッツ強制収容所でコルベ神父が天に召されました。彼は、同じ囚人班の中から処刑されることになっていたある囚人の身代わりとなることを自ら願い出て、地下にある餓死官房に入れられていました。コルベ神父はそこで祈り、賛美をささげ、苦しんでいた囚人たちを励まし続けたのです。コルベ神父の代わりに生き延びた囚人は、その後無事解放され、「アウシュビッツの生存者」として生涯をかけてコルベ神父に関する講演活動を行ったそうです。

コルベ神父は、イエス様の身代わりの愛を自分自身の身を通して現わしました。私たちは同じようにはできません。しかし、このことはしっかりと心に刻みたいと思います。神様は、ひとり子イエス様を私たちの身代わりとされたほどに、私たちのことを大切に思ってくださっている、ということです。私たちは、これほどまでに愛されているのです。コルベ神父によって命を救われて、一生涯証しを続けたあの囚人のように、私たちも感謝をもって、私たちの身代わりとなってくださったイエス様のことを証しし続けたいと思います。