主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

創世記42:1-25 「善をもって悪に報いる」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。」(ローマ12:17)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所には、エジプトの総理大臣となったヨセフが22年ぶりに兄たちに再会する場面が描かれています。この時ヨセフは、どんな思いで兄たちと対面したでしょうか。

1)兄たちとの再会
ヨセフがエジプトの総理大臣になって、7年間の大豊作のあとにヨセフが告げた通りに厳しいききんが訪れます。エジプトに穀物があると知ったヤコブは、末っ子のベニヤミンを残して、10人の息子たちをエジプトに買い付けに遣わします。エジプトの穀物を売る担当の役人はヨセフでした。兄たちは、その役人がヨセフだとは知らずにヨセフの前にひれ伏します。ついに、その時が来ました。22年ぶりの再会です。ヨセフは一目見て兄たちだと気づきますが、「見知らぬ者のように」振る舞い、荒々しい言葉で尋問します。この時ヨセフは、どんな思いでいたのでしょうか。信頼していた兄たちに売り飛ばされたという忌まわしい記憶は、未だに心に刻まれていたはずです。普通であれば、兄たちへの恨みつらみがあってもおかしくはありません。その兄たちが今、自分の前にひれ伏しているのです。しかも、自分はエジプトの権力者です。復讐するには、またとない絶好のチャンスでした。

2)兄たちを試すヨセフ
しかしヨセフは、自分のことを明かさずに、兄たちをスパイ扱いします。ヨセフは兄たちの本心が知りたかったようです。ヨセフにしつこく問われて兄たちは家族の状況を洗いざらい話しました。そうしてヨセフは、兄弟の一人をやって末の弟を連れてくることを要求します。そして彼らは三日間、監禁所に入れられてしまいました。

3)憐れみを示すヨセフ
三日目になって、ヨセフは条件を変えて、一人だけ残して9人を帰すことを告げます。一刻も早く飢えている家族に食料を届けたいと思いやってのことでした。この時、兄たちはヨセフが聞いているとは知らずに、互いに思いを打ち明けます。「ああ、我々は弟のことで罰を受けているのだなあ」(21)兄たちはヨセフへの不当な仕打ちのことを後悔しました。これを聞いてヨセフはその場を離れ、一人泣きます。兄たちが後悔していることを知っての感動の涙でした。しかしまだ自分を明かすことはできません。そうしてシメオンを縛り人質として残し、9人は帰っていきます。その時、彼らの袋に穀物を一杯に入れて、代金として支払われた銀を袋に返し、道中の食料まで与えるように家臣に命じました。ヨセフは兄たちをあわれみ、家族のことを思いやったのです。

4)仕返しすることについて
ヨセフは、あれほど不当な仕打ちを受けても、兄たちに仕返しするようなことはしませんでした。むしろ、あわれみを示しました。聖書は一貫して、「自分で復讐してはいけない」と言っています(レビ19:18、ローマ12:19)。それはなぜでしょうか。

①一つは、「復讐しても何も良いことがないから」です。復讐によっては誰も幸せにはなりません。皆が苦しむだけです。本当の解決は「赦す」ことと、「赦された」という思いになれることです。意外と、根本には誤解や思い込みがあることも少なくないと思います。もし誤解があったとしたら、お互いの立場を理解して、歩み寄ることが本当の解決につながることです。

②もう一つのことは、「神様が正しくさばかれるから」です。復讐は神がなさることだと、聖書は語っています(ローマ12:19)。神様はすべてのことをご存じで正しく見ておられます。そして、正しいさばきをしてくださいます。このことを信じて、神様に一切をお任せすることです。但し、場合によっては正しく抗議することも必要です。もし本当に不当なことをされているなら、正しい態度で真剣に相手に伝えることは大切なことです。

そして、私たちが取るべき態度について、聖書はこう教えています。「だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい」(ローマ12:17)悪に対して悪をもって報いるのではなく、むしろ、善をもって悪に報いなさい、というのです。なかなか難しいことかもしれません。ヨセフは善をもって悪に報いたと言えます。その背後には長年の祈りがありました。そのヨセフの姿は、イエス様の姿に通じるものがあります。「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)イエス様は、不当な裁きを受け、十字架の苦しみを黙って忍ばれました。そして、十字架の上で、自分を苦しめる者たちのために祈られました。「父よ。彼らをお赦しください」(ルカ23:34)それは、人を赦せなくなってしまう私たちに対する祈りでもあるのです。

このイエス様の姿を思い起こして、私たちも、善をもって悪に報いる者となれるように祈ってまいりましょう。