主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

創世記40:1-41:13 「神の時を待つ」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」(伝道者の書3:1)

【礼拝メッセージ要旨】

ヨセフは無実の罪で監獄に入れられてしまいましたが、そこでも新たな出会いがありました。しかし、しばらく忍耐の日々を送ることになります。

1)獄中にて
ヨセフのいる監獄にある日、王に仕えていた「献酌官長」と「調理官長」が送られてきました。ヨセフは付き人として彼らのお世話を任されます。ある時、二人は同じ夜にそれぞれ夢を見ます。翌朝、ヨセフは彼らの様子がいつもと違うのに気付いて声を掛け、彼らの夢を聞いて解き明かしをすることになりました。まず献酌官長の話を聞き、彼が3日目に釈放されて元の役に戻されることを告げます。この時ヨセフは、彼が出たらヨセフのことを思い出して、ここから出られるようにパロに取り計らってほしいと願いました。一方、調理官長には、彼が3日目に木につるされてしまうことを告げます。それから3日目のこと、二人はパロに呼び出されて、ヨセフが告げた通りのことが起こりました。献酌官長は恩赦を受けて釈放されます。しかし、彼はヨセフとの約束をすっかり忘れてしまい、ヨセフはそのまま監獄に留め置かれてしまいました。せっかく出られると思ったのに、その道は閉ざされてしまったのです。

2)パロの夢
そうして2年の歳月が流れます。ある夜、パロは不思議な夢を見ます。醜いやせ細った7頭の雌牛が、肥えた7頭の雌牛を食い尽くしてしまう、というものでした。パロはその夢の意味を知りたいと思い、国中に夢の解き明かしのできる者を捜しますが、誰もそれを解き明かすことができません。その時献酌官長はヨセフのことを思い出して、パロにヨセフのことを進言しました。こうしてヨセフは、ようやく監獄から出されてパロの前に出て行くことになります。

3)人生の訓練の時
今日のこの箇所には、監獄の中でひたすら忍耐の日々を送るヨセフの姿が描かれています。彼は2年以上、そこに留め置かれました。この経験は、彼がやがて神様に用いられる器となるための「訓練の時」となったと思います。「彼のことばがそのとおりになる時まで、主のことばは彼をためした」(詩篇105:19)ヨセフがそこに置かれたのは、「主が彼を試すため」であったというのです。

では、彼はこの時、神様からどんな訓練を受けたでしょうか。3つの点から確認したいと思います。
①一つは、「忍耐しながら神に信頼して待つ」ということです。彼は、自分ではどうすることもできない状況に置かれましたが、主が共にいてくださることが分かっていました。彼は共にいてくださる神様に信頼して祈り続けていたのです。神様を信じて待つ、ということを彼は学びました。

②2つ目は、「同じ境遇にある人々を思いやる」ということです。彼が「人生のどん底」を経験したことを通して、弱い立場に置かれている人々の思いを理解し、寄り添う者へとされていったのではないでしょうか。それは、後に彼がエジプトの為政者として立てられた時に、すべての民に仕えるために必要なことであったと思います。このヨセフの姿は、天の高き所から人となって低く降りて来られたイエス様の姿に重なります(ヘブル2:18)。

③3つ目のことは、「兄たちを赦す」ということです。自分を売り飛ばした兄たちを赦すことはなかなかできなかったと思います。しかし、獄中で一人神の前に祈る中で、その兄たちの思いも受け止められるようになっていったのではないでしょうか。この経験が、後に再会した時に和解をもたらすことになります。

4)神の時を待つ
「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」(伝道者3:1)人生のすべての営みには神によって定められた時がある、と聖書は教えています。「泣くのに時があり、ほほえむのに時がある」(3:4)ヨセフの人生は忍耐の連続でした。それでも、それも神様が定めた「神の時」だったのです。

私たちの人生にも、「神様の時」があります。困難の中に置かれることにも意味があって、神様はそのことも益としてくださいます。苦しい中にあっても、神様は私たちのことを決して忘れることなく、覚えておられて恵みを注いでくださいます。そして、必ずほほえむ時が来る、というのです。このことをぜひ、心に留めたいと思います。そして、私たちのために十字架の苦しみを耐え忍ばれたイエス様の姿を覚えて、神様に信頼して、「神の時」を待ち望んでまいりましょう。