主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

創世記35:1-15 「神の家に帰る」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「そうして私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。」(創世記35:3)

【礼拝メッセージ要旨】

ヤコブは、兄エサウと和解したものの、その後それぞれ別の道へと向かいます。今日の箇所には、ヤコブがベテルに上ってそこで神の祝福を受けるという出来事が描かれています。ヤコブにとって、ベテルに上るということには特別な意味がありました。

1)シェケムでの失敗
エサウと別れて後、ヤコブは西に向かいます。おそらく父に会いに行く前にベテルに行こうとしていたと思われます。ところが、そのはるか手前で「寄り道」をし、スコテの町にしばらく滞在し、その後シェケムの町で暮らすことになります(33;17,18)。途中の居心地の良い土地に滞在するうちに、ベテルに向かうという目標を見失っていたのかもしれません。

そうしているうちにシェケムの町でヤコブの息子たちが暴虐事件を起こしてしまいます。ヤコブの一人娘のディナがシェケムの町の若者シェケムに辱められたことに怒り、彼らに復讐を企てました。ディナを正式に妻に迎えたいと願い出たシェケム親子に対して、兄たちは割礼を受けることを条件として求めます。シェケムらはそれを受け入れて町の男たちが割礼を受けて傷が痛んでいた時に、兄たちは町を襲い、男たちを殺して略奪したのです。これを知ったヤコブは周辺の町々からの報復を恐れ、困惑します。この時、ヤコブと家族の中に、神への信仰のゆるみがあったようです。

2)ベテルに上れ
途方に暮れていたヤコブに、神様は「ベテルに上ってそこに住みなさい」(1)と語り掛けました。彼らが行くべき正しい道を示してくださったのです。「ベテル」は、ヤコブが神に出会った「信仰の出発点」でした。寄り道をして道に迷ってどうしたらよいか分からなくなっていたヤコブに、神様は「ここに来ればいいんだよ」と教えてくださったのではないでしょうか。

私たちにも、それぞれに私たちの信仰の出発点である「ベテル」(神様に出会った経験)があると思います。私たちはいつでもその「ベテル」に帰ることができるのです。その時のことを思い起こして神様に立ち返ることです。いつでも帰って来れる、いつでも温かく迎えてもらえる「ふるさと」のような神様のみもと、それが私たちにとっての信仰の出発点です。

3)祝福されるヤコブ
ヤコブは、神様の呼びかけに応答します。家族の中に持ち込んでいた異国の神々を取り除き、身をきよめて、「立ってベテルに行こう」と言ってベテルに向かいます。「私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に」(3)ヤコブは、この感謝を思い起こし悔い改めて、神に立ち返りました。ベテルに着いてそこに祭壇を築いて礼拝をささげます。そんなヤコブに神様は再び現われて彼を祝福しました。アブラハムとイサクに約束された同じ祝福の約束がヤコブにも与えられたのです。

4)信仰の出発点を再確認する
このヤコブの姿から教えられることとして2点ほど確認したいと思います。一つは、「私たちの信仰の出発点を再確認する」ということです。原点がある、ということは本当に感謝なことです。道に迷った時、そこまで戻ればいいからです。ヤコブがベテルに上ったように、私たちもいつも神様との関係で自分の道を確認していきたいと思います。そしてもし道を外れていることに気づかされたなら、神様に出会った時のことを思い起こして私たちの信仰を再確認したいと思います。必ず軌道修正ができるはずです。

5)失敗したらやり直せばいい
もう一つのことは、「失敗したらやり直せばいい」ということです。私たちは失敗してしまう者です。でも、それで終わりではありません。大事なことは、失敗した時に神様の前に罪を告白して悔い改めることです。私たちが悔い改める時に、神様はイエス様の十字架の血によって私たちを赦してくださいます。何度でも赦して受け入れてくださいます(Ⅰヨハネ1:9)。失敗したら、悔い改めて、またやり直せばいいのです。とは言っても、同じ失敗を繰り返さないように、祈りながら神様の助けを求めてまいりましょう。

私たちは、道に迷った時、いつでも神様のもとに帰ることができます。神様は、そんな私たちを温かく迎えてくださいます。このことを覚えて、神様に信頼して、お従いしていきたいと思います。そして共に神様の祝福にあずかってまいりましょう。