主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

創世記31:1-24 「自分は正しいと思う時」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「あなたはヤコブと、事の善悪を論じないように気をつけよ。」(創世記31:24)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所には、ヤコブが故郷に帰ることを決意して家族を連れてラバンのもとを去る、という出来事が描かれています。ヤコブもラバンもお互いに「自分は正しくて相手が悪い」と考えていたようです。そんな彼らに神様はどのように働きかけたでしょうか。

1)ヤコブ、帰郷を決意する
ヤコブが多くの家畜を持つようになってラバンと彼の息子たちはヤコブを妬むようになります。そんな時、神様はヤコブに「あなたの先祖の国に帰りなさい」と告げます。ついにヤコブは家族を連れて帰郷することを決意し、ラケルとレアに自分の正当性を訴えて同意を求めます。妻たちもラバンに対して不満があったようで、ヤコブの主張を支持し、帰国計画に賛同を示しました。

2)ヤコブ一家の逃亡
さっそくヤコブは家族を連れ、ラバンのもとで得た財産を携えてカナンの地を目指して出発します。その時、ラケルが父ラバンの大切にしていたテラフィムを盗んでしまいます。こうしてヤコブは、ラバンに一切知らせずにラバンのもとから「逃亡」しました。
やがてこのことがラバンに知らされ、彼はヤコブを追いかけます。ラバンは、ヤコブが約束を破って逃げて、しかもラバンの物を盗んだと思ったことでしょう。ヤコブに対する怒りや憎しみは頂点に達していたと思われます。そんなラバンに神様が夢で現われて語り掛けます。「あなたはヤコブと、事の善悪を論じないように気をつけよ」(24)神様はラバンに、ヤコブを厳しく懲らしめないようにと諭されたようです。このことばによって、ラバンは少し冷静になり、追いついてから落ち着いてヤコブと話をしています。こうして神様はラバンの心に働きかけて、ヤコブを守られました。

3)「事の善悪を論じる」ということについて
今日の箇所では、ヤコブもラバンもお互いに「自分は正しい、相手が悪い」と思い込んで、なかなか歩み寄れないでいました。私たちも、自分は正しいとしてしまうものです。そんな私たちに神様は、「事の善悪を論じないように気をつけなさい」と言われているように思います。これはどういうことなのでしょうか。果たして、私たちは自分の正しさを主張してはいけないのでしょうか。
まず、大前提となる大事なことは、「正しくさばかれるお方はただ一人、神様だけである」ということです。イエス様は、人々から憎まれ不当な裁判を受けても一切弁明をしませんでした。自分の正しさを主張することなく、「正しくさばかれる方にお任せになられ」ました(Ⅰペテロ2:22-23)。私たちはイエス様と同じようには決してできませんが、天の神様だけが真実を知っておられて、正しく公平にさばきをなさることができる、ということをわきまえる必要があります。私たちはどうしても主観的に物事を見てしまいます。自分に都合の良いところしか見えていないのかもしれません。自分が正しいとは限りません。それをわきまえた上で、私たちは自分の正しいと思うところを主張してよいのです。但し、気を付けなければならないことがあります。

4)「自分は正しい」と思う時に気を付けたいこと
第一点目は、「人を裁かない」ことです。イエス様は「さばいていけません」と言われました。「さばく」とは、人を一方的に非難して決めつけてしまうことです。私たちは、自分の目の中にある梁に気づかないで、他人の目の中のちりを指摘するようなことをしているというのです。思い込みを捨てて、自分の姿を客観的に顧みるように心掛けたいと思います。

第二点目は、「神様のみこころを求める」ことです。何を言うべきか祈って求める時に、神様は語るべきことを教えてくださいます(ルカ12:11-12)。つい言い返したくなった時、一呼吸おいて心の中で祈りたいと思います。

第三点目のことは、「正しい良心をもって弁明する」ことです。ペテロは、「優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって」弁明しなさいと言っています(Ⅰペテロ3:15-16)。これは、柔和な心で(優しく)、正しくさばかる神様を敬い恐れて(慎み恐れて)、そして誠実に相手の立場を思いやりながら(正しい良心をもって)説明する、ということを言っていると思います。

そう簡単にできることではありません。しかし、イエス様の姿を思い起こしながら、このような態度で説明できるように、神様の助けを求めていきたいと思います。そして、お互いのことを思いやりながら良い人間関係を築いてまいりましょう。