主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

創世記30:25-43 「富がもたらすもの」  齋藤牧師

【今週のみことば】
「たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。」(Ⅰテモテ6:17)

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所には、ラバンとヤコブが財産(富)を巡って駆け引きを繰り広げていった出来事が描かれています。彼らの姿を通して、私たちに与えられている「富」について考えてみたいと思います。

1)ヤコブ、帰郷を願い出る
ヤコブがラバンのもとで仕えて20年の年月が経ちました。そんなある日、ヤコブはラバンに、家族を連れて故郷へ帰ることを願い出ます。「あなたのために仕えた私の働きはよくご存じです」(26)ヤコブは、自分がいかにラバンのために仕えてきたか、それにもかかわらずラバンが報酬を与えずに都合よくヤコブを使ってきたかを暗に訴えています。これに対して、ヤコブに出て行ってもらっては困ると考えたラバンは、ヤコブを引き止めようとしてこれまでの働きに対する報酬を与えることを提案します。

2)ラバンとの駆け引き
ラバンの提案を受けてヤコブは、ラバンの群れの中から普通の毛色ではない羊とやぎを報酬として受けたいと申し出て、ラバンはその条件をすんなりと受け入れます。ラバンには、ヤコブの要求がささやかなお願いに聞こえたようです。さらにラバンは、それらの家畜を自分の息子たちに渡ししてヤコブから引き離し、ヤコブへ渡すまいと画策しました。

3)ヤコブの策略と祝福
一方ヤコブは、あれこれと策略を巡らして、普通の毛色ではない羊とやぎを産まれさせるために努力をします。神様は彼の働きを祝福し、普通の毛色でない羊とやぎが強い群れとなって増やされていきました。こうしてヤコブは多くの財産を所有するようになります(43)。このラバンとヤコブの財産を巡っての「駆け引き」に、彼らの富に対する執着が感じられます。ヤコブも、これまでの働きの対する報酬を少しでも多く取り戻そうと躍起になっていたように思われます。

4)聖書は「富」について何と言っているのか
ヤコブは、ラバンと交渉し、知恵を働かせて自分の財産を増やそうと努力をし、その結果として彼は多くの物(富)を所有するようになりました。それ自体悪いことではないように思います。では、この「富」について、聖書は何と言っているでしょうか。以下の3つの点について確認したいと思います。

第一点目のことは、「富は「神の恵み」として与えられるもの」ということです。「実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し~」(伝道者5:19)。神様はすべての人に富を与えてくださっています。今、私たちが持っている物はすべて神様が恵みとして与えてくださったもの(賜物)なのです。それらを感謝して受け取って、私たちの必要や喜びのために自由に用いて良いのです。私たちは、その受けている富を自分の喜びのために、そして人々の喜びのためにも有効に用いていきたいと思います。

第二点目のことは、「富は必ずしも人を幸せにするとは限らない」ということです。「所有者に守られている富が、その人に害を加えることだ」(伝道者5:13)神様が与えてくださる富をどのように用いるかは、私たちに任されています。もし、お金の奴隷のようになってしまうとしたら不幸なことです。多くの財産を持っていても孤独を感じている人もいます。最近の研究からも、お金と幸せは関係ないと言われています。むしろ、良い人間関係が大きく関係しているそうです。私たちには神様との関係があり、信仰の友がいます。それは、本当に素晴らしい感謝なことです。

第三点目のことは、「富を与えてくださる神様に望みを置く」ことです。(Ⅰテモテ6:19)富は頼りにならないものです。富はいつまでも続くものではありません。いつか私たちの手から離れてしまうものです。そんな頼りにならない富に望みを置くのではなく、その富を豊かに与えてくださるお方に望みを置きなさいと、聖書は言っています。それは、私たちを造り、愛してくださっている天の神様に信頼して、神様との関係の中に希望を置いて生きていくことです。それは永遠に続く関係です。ここに、私たちの本当の幸せがあるのです。

 このことをしっかりと心に留めて、日々神様に愛されていることを実感しながら、イエス様と共に人生を歩んで行きたいと思います。その上で、与えられている物を感謝して受け取って、それを正しく管理して、自分のために、そして人のために、有効に用いてまいりましょう。