主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ルカ24:1-8、Ⅰコリント15:20-22「永遠のいのちを与えるために」    齋藤牧師

【礼拝メッセージ要旨】

今日はイースターです。イエス様のよみがえりにはどんな意味があって、なぜそれが私たちにとってそれほど重要なことだったのでしょうか。

1)キリストのよみがえりの事実
イエス様が十字架で息を引き取られてから、アリマタヤのヨセフがイエス様のからだの下げ渡しをピラトに願い出て、自分の新しい墓にイエス様のからだを納めます。そうして安息日が明けた翌朝早くに、女性たちが墓にやってきました。イエス様を慕って、イエス様の遺体を丁重に処置するためでした。しかし彼女たちも、イエス様がよみがえるとは少しも思っていなかったのです。空っぽの墓を見て、途方に暮れているところに二人の御使いが現われて、イエスがよみがえられたことを告げます。そして以前イエスが言われていたことを思い出すように言われて、ようやくイエス様が予告されていたことを思い出しました。それほど、十字架で処刑されたイエス様がよみがえるということは、彼らにとって想定外のことでした。しかし、イエス様は確かにからだをもってよみがえられたのです。

2)イエス様は死に勝利された
では、どうしてイエス様は、父なる神様によって死からよみがえらされたのでしょうか。パウロは、Ⅰコリント15章で、イエス様がよみがえられたことの意義について語っています。このところから、私たちに関係のあることとして、特に2つのことに目を留めたいと思います。
一つ目のことは、「イエス様は死に勝利された」ということです。「死」は、アダムが罪を犯したことによってその刑罰として人にもたらされ、その時から死ぬことがすべての人に定められました。誰も、死を免れることはできません。イエス様も、人としてその死を経験されました。しかし、イエス様は、その死を打ち破って死からよみがえりました。十字架でご自身をささげられたことにより人の罪の清算がなされて、罪の刑罰としての死に対して勝利を収められたのです。もはやイエス様が死に支配されることはありません。イエス様がからだをもってよみがえられたという事実は、そのことをはっきりと示しています。また、私たちもそうです。「眠った者の初穂としてよみがえられました」(15:20)初穂に続いて収穫があるように、イエス様を信じる私たちも、イエス様に続いて同じようによみがえることが約束されました。私たちにも、このよみがえりの確かな希望が与えられているのです。この事実を、感謝とともにしっかりと心に留めたいと思います。

3)私たちに「永遠のいのち」が与えられた
二つ目のことは、「私たちに永遠のいのちが与えられた」ということです。世の多くの人々が不安に思っていることの一つに「将来への不安」があります。聖書は、このことについても解決の道を示しています。それは、イエス・キリストを信じて「永遠のいのち」を受け取ることです。私たちの人生は死んで終わりではなく、その先に続く人生があると聖書は教えています。永遠に続く、祝福への道が用意されているのです。イエス様は、私たちに永遠のいのちを与えるためによみがえられました。
聖書は、三つの死があることを教えています。①肉体の死、②霊的な死、そして③永遠の死、です。私たち人間は、生まれた時から神様から離れた「霊的な死」の状態にあり、罪の刑罰としての「肉体の死」が定められています。神様は、私たちが神様から永遠に離れて「永遠の死」に移ってしまうことのないようにと願われました。そのために、大切なひとり子イエス様を人としてこの世界に遣わしてくださいました。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)神様は、私たちがイエス様を信じて神様のもとに立ち返り、「永遠のいのち」を受けることを何よりも願っておられます。

弟子たちがよみがえりのイエス様に出会って大きく変えられたように、イエス様は、私たちの人生をも大きく変えてくださいます。イエス様にお委ねしていく時に、私たちにも、思いもよらないような「人生の大逆転」が起こるのではないでしょうか。このことを覚えて、感謝と喜びをもって、今も生きて働いておられるイエス様と共に、永遠のいのちの道を歩んでまいりましょう。