主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

ヘブル5:1-10「私たちの大祭司イエス」    齋藤牧師

【礼拝メッセージ要旨】

今日からレントに関連して、ヘブル人への手紙から学びたいと思います。ヘブル書には、旧約時代のいけにえの制度の意味が、イエス・キリストの十字架で完全に成就されたことが見事に説明されています。今日は、「イエス様が私たちの「大祭司」となられた」ということの意味を思い巡らしたいと思います。

1)「大祭司」とは?
旧約の時代、イスラエルの民は、モーセに率いられてエジプトを脱出してから40年間に渡りカナンの地を目指して荒野を旅しました。その時に、神様は彼らに「幕屋」を建設し、そこで「祭司」によって「いけにえ」をささげるようにと命じました。民の罪が贖われる(覆われる、赦される、償われるといった意味があります)ために、動物の血が流される(つまり、いのちがささげられる)必要があったのです。その祭司の長が「大祭司」です。大祭司にしか許されていない重要な務めは、年に一回だけ、民全体の贖いのために、幕屋の奥にある「至聖所」に入り、いけにえの血をささげることでした。このことは、人はそれほど罪に汚れていて、そのままでは聖い神の前に出ることができなかったことを意味しています。そのために、特別に神から任命された大祭司だけが、民の代表として神の前に出ることが許されたのです。大祭司は、一人神の前に進み出て、神と人との間に立ってとりなしをする、そんな重要な役割を担っていました。
しかし、この大祭司は残念ながら完全ではありませんでした。人であったため、当然限界がありました。大祭司自身が弱さ(罪、汚れ)を持っていたため、奉仕をささげる度に自分自身を聖めるためのささげものをささげる必要がありました(3)。人間の大祭司では、神と人の間を完全に取り持つことはできなかったのです。

2)完全な大祭司イエス
神様は、人間との交わりを完全な形で回復することを願われました。ユダヤ人に限らず、すべての民族の人々が神様につながることを願われました。そのためには、神様とすべての人の間に立つことのできる「完全な大祭司」と、すべての人の罪の贖いをするための「完全ないけにえ」が必要でした。そのために、神のひとり子イエス様をこの世界に遣わしてくださったのです。 イエス様は、全く罪がなく(7:26)、完全な人であり(2:17)、永遠の大祭司(7:24)として、私たちのために「完全な大祭司」となられました。

3)思いやってくださる大祭司イエス
イエス様は、私たちの大祭司としてどんなことをしてくださったのでしょうか?大切なこととして3つのことを確認したいと思います。
一つ目のことは、「イエス様は私たちを思いやってくださる」ということです。イエス様はすべての点で、私たちと同じように試みに会われました(4:15)。特に十字架の出来事は、私たちには想像もできないような大きな苦しみであったと思います。それ故に、私たちの弱さも苦しみも全部分かっておられ、弱い私たちのことを思いやってくださるのです。

4)とりなしてくださる大祭司イエス
二つ目のことは、「イエス様は私たちのためにとりなしてくださる」ということです。大祭司の最も大きな役目は、神と人との間に立ってとりなしをすることです。「父よ彼らをお赦しください。」イエス様は十字架の上で、ご自分を十字架につけた人たちの救いを祈られました。そのように、弱い私たちのことを思いやって、いつもとりなしてくださっています(7:25)。私たちも、家族や周りにいる人たちのことを思いやって、心からのとりなしの祈りをささげる者となりたいと思います。

5)ご自身をささげられた大祭司イエス
三つ目のことは、「イエス様は、私たちの罪のいけにえとしてご自身をささげてくださった」ということです。大祭司は、民全体の罪の贖いのためにほふられた羊の血を携えて至聖所に入りました。イエス様も、すべての人の罪の赦しのために、十字架で流されたご自身の血を携えて天の聖所に入られました。そのことによって、ユダヤ人に限らず、イエス様を信じるすべての人に罪の赦しがもたらされて、神様との交わりが回復されるようにされたのです。
このように、イエス様は、私たちのために完全な大祭司となられ、ご自身を完全ないけにえとしてささげてくださいました。イエス様は今も生きておられ、弱さのある私たちのためにとりなしてくださっています。ここに私たちの救いの根拠があり、信仰の土台があります。

このことの感謝を忘れずに、私たちの大祭司となられたイエス様に信頼して、私たちの信仰をしっかりと保ち続けてまいりましょう。