主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

創世記22:1-18「愛するひとり子を」    齋藤牧師

【礼拝メッセージ要旨】

その後、神様の約束のとおり、アブラハムの妻サラは男の子を産み、イサクと名付けます。イサクが成長したある時、アブラハムにとって人生最大の試練とも言えるような出来事が起こります。

1)アブラハムの試練
神様は、アブラハムに試練をお与えになりました。それは、「あなたの愛するひとり子イサクを全焼のいけにえとしてささげよ」というものでした。何と、25年待ってようやく与えられた約束の子であり、夫婦にとってかけがえのない愛する我が子をささげよ、というのです。神様が言われることには矛盾もありました。イサクによってあなたの子孫は祝福されると約束してくださっていたからです。理解に苦しむようなことでした。

2)アブラハムの応答
これを聞いてアブラハムは、すぐに従いました。「翌朝早く」イサクを連れてモリヤの地を目指して出発します。アブラハムは、拒否することも言い訳することもなく従いました。とは言え、愛する我が子に自分の手をかけなければならないことは、耐えられないような辛さであったはずです。3日目にモリヤの地が見えてきて、アブラハムはイサクと二人だけで山を登って行く時に、若い者たちに「私と子どもは~戻って来る」と告げています。彼は、神は必ずイサクをよみがえらせてくださると信じていました(ヘブル11:19)。
イサクに全焼のいけにえのことを聞かれて、父親は「神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ」と答えます。彼が神様にイサクのこともゆだねて、心からの信頼を寄せていたことが分かります。イサクも父親を信頼してゆだねていました。

3)主が備えてくださる(アドナイ・イルエ)
やがて山の上に着いて、アブラハムは祭壇を築き、イサクを縛り、たきぎの上に寝かせて、いよいよ愛する我が子をほふろうとして刀を振り上げます。その時、主の使いが彼を呼んでストップをかけられました。主は、彼の信仰が本物であることを見られてそれで十分とされます。そして、イサクの代わりに雄羊を全焼のいけにえとして与えてくださいました。神様に信頼してすべてを明け渡していく時に、神様は私たちに必要なすべてのものを豊かに与えてくださいます(マタイ6:33)。そして主は、アブラハムに祝福の約束(契約)を再確認させてくださいました(16~18節)。

4)試練の意味について
今日の箇所から教えられることとして、2つのことを確認したいと思います。一つ目のことは、「試練の意味について」です。アブラハムは、神様に忠実に従ってきたにもからわらず、最も大切な愛するひとり子イサクをささげよと求められました。神様は、彼にすべてを明け渡すことを求めました。それは、全能の神を信頼して一切をゆだねることです。そのことによって、彼を成長させるためであったと思います(ヤコブ1:2~4)。試練を通して、私たちの信仰が強くされて、人として成長させられる、ということです。
一方で、試練に会うことは辛く苦しいことです。できるなら避けたいことですね。そんな私たちに、神様は励ましの約束も与えてくださいました(Ⅰコリント10:13)。神様は、私たちが耐えられないような試練はお与えになりません。必ず脱出の道も備えてくださいます。この約束に励まされて、試練を乗り越えさせていただきたいと思います。

5)神様も「愛するひとり子」をささげられた
もう一つのことは、「神様も、愛するひとり子をささげられた」ということです。神様は、私たちにただ「ささげよ」と命じているのではありません。神様ご自身が、私たちのために「愛するひとり子」をささげてくださったのです。私たちを罪から救うために、神のひとり子であるイエスを十字架に渡されました。アブラハムがイサクをささげた出来事は、そのことを前もって表していたことでもあると言われています。イサクが自分が焼かれるためのたきぎを背負ってモリヤの山を登ったこと→イエスが十字架を負ってゴルゴタの丘を登られたこと。イサクの身代わりとなった雄羊→私たちの身代わりとなられたイエス様。アブラハムがイサクをささげていのちを取り戻したこと→父なる神がイエスを十字架に渡されてイエスが死からよみがえられたことなど。確かに、十字架の出来事と重なることが表わされているようです。

神様は、アブラハムが苦しんだ以上に苦しまれて、愛するひとり子イエス様を私たちのためにささげる決心をされたのではないでしょうか。神様は、これほどまでに私たちのことを愛してくださいました。このことをぜひ覚えたいと思います。そして、感謝をもって、ますます神様に信頼する者となりたいと思います。