主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

創世記12:9-20「神様の守りの御手」    齋藤牧師

【礼拝メッセージ要旨】

アブラムは、神様の召しを受けて、カランを出発して神様の約束の地カナンに入りました。今日の箇所には、その後のアブラムの失敗の出来事が赤裸々に記されています。

1)約束の地を離れエジプトへ
アブラムは、なおも旅を続けてカナンの南の端にあるネゲブに向かいます。そこでききんがあり、さらに西に向かいエジプトへと逃れます。旅の目的地はカナンの地であったはずなのに、カナンを通り過ぎて離れて行ってしまいました。神様のみこころはカナンの地で暮らすことだと分かっていたはずなのに、ききんを理由に自分の思いで神様の約束の地を離れ、豊かなエジプトへ向かいました。

2)夫婦の危機
やがてエジプトに入ろうという時に、アブラムはあることが心配になってきました。妻のサラが美しいのを見て、エジプト人が自分を殺して妻を奪ってしまうのではないかと心配したのです。そこで、自分の妹だと言ってくれとサラに頼みます。彼はエジプト人を恐れて、サラが妻であることを隠そうと策略を立てました。案の定、エジプト人はサラの美しさに目を留めて、彼女はパロのそばめとして宮廷に召し入れられてしまいます。アブラム夫婦の危機が訪れました。アブラムはその見返りとして身の安全と豊かさを手に入れますが、愛する妻を失うことになってしまいました。取り返しのつかないような大きな失敗です。
このアブラムの姿は、私たちの姿でもあるように思います。私たちも、神様のみこころを求めることをしないで、自分の思いだけに頼って決断し、行動して失敗してしまうことはないでしょうか。アブラムがしたように、目の前の苦しみから逃れようとして、ただ楽な道を行くことを考えたり、人を恐れて正しいことが言えなかったり、妥協してしまうことがあるかもしれません。それはやむを得ないことだから・・少しの間だけのことだから・・他の人もやっていることだから・・そんな言い訳をして、その結果、本当に大事なものを失ってしまうことがある、ということです。そうならないためにも、神様のみこころがどこにあるのかということをいつも考えて、祈り求めていきたいと思います。毎日の神様との交わり、みことばと祈りの生活の土台があってこそ、神様のみこころを知ることができるのではないでしょうか。

3)主の介入
そんな夫婦の危機に、神様が動かれます。神様は、パロの側に災いをもたらして彼らを苦しめました。そのことでパロは、この災いがサラを召し入れたことに原因があると気付きます。そして、サラが人妻であることを知り、サラをアブラムのもとに帰すことを告げました。アブラムはサラを取り戻し、多くの財産を得て、エジプトを出て約束の地に戻ることになります。神様が介入されて、アブラム夫婦を大きな危機から救ってくださいました。そして、神様の救いのご計画が途絶えてしまわないように守ってくださいました。
私たちの人生においても、神様が私たちのことを思って、私たちのために介入されることがあります。「自分が願ったようにうまくいかない」と思えるような時でも、実はそこに神様のあわれみが注がれていて、私たちが間違った道に進むことから守ってくださっているのです。神様はいろんな方法で私たちに働きかけてくださいます。思いを与えてくださったり、周りの人たちに働きかけてくださったり、また、道を閉ざされるということもあると思います。それも、私たちにとって必要なこととして神様が守り、導いておられることなのだ、と受け止めたいと思います。
私たちが今朝、元気に目覚めることができたことも当たり前のことではないのかもしれません。夜の間も神様に守られていたのです。私たちは、毎日、一瞬一瞬、神様に守られています。目に見えない神様の大きな御手が、私たちを守ってくださっているのです。このことを覚えて、心からの感謝をおささげしたいと思います。そしてこれからも、私たちのことを心配してくださっているイエス様に信頼し、イエス様と共に歩んでまいりましょう。