主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

創世記11:1-9「バベルの塔」    齋藤牧師

【礼拝メッセージ要旨】

大洪水のあと、ノアの子孫から地上のすべての民族が分かれ出ていきます。その転機となったのが、このバベルの塔の出来事でした。

1)ノアの子孫たちの思い
ノアの子孫たちは、やがてシヌアルの地(現在のイラクの付近)に移り住みます。彼らはそこでレンガを発明し、瀝青(アスファルト)を用いてレンガを積み上げて高い建物を建てる技術を身に着けます。彼らはこう言うようになります。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう」(4)彼らは、自分たちの手で大きな豊かな町を建設し、天にも届くような立派な塔を建てて、自分たちの知恵や力を示そうとしました。
「われわれが全地に散らされるといけないから」(4)神様のみこころは、「地に満ちよ」でした。しかし彼らは、散らされることを恐れました。神の命令に背いて、集まって一致団結して自分たちの力でより豊かな文化、より強い町を築こうとしたのです。そうして彼らは高い塔を建て始めます。彼らの威信をかけた、大事業でした。

2)神の介入
神様は、彼らの建てた町と塔をご覧になるために、「降りて来られ」ました。これは、人の目にはどんなに偉大に思える計画でも、神様の目から見れば、ほんの小さなものすぎないことを物語っています。神様は彼らのことばを混乱させ、意思疎通ができなくなり、結局建設工事は中断されてしまいます。そうして他の土地へ散らされていくことになります。神様が介入され、彼らの計画にストップをかけました。なぜ、介入されたのでしょうか。神様にとっては、人間が何をしようと全く影響はなかったはずです。それは、人間たちのことを思ってのことであったと思います。彼らが神を忘れ、神から離れてしまうことのないようにと願われたのです。
私たちの人生においても、神様が私たちの計画にストップをかけることがあるように思います。「これがみこころだ」と思っても、その道が閉ざされる、ということがあるのではないでしょうか。しかし、そこにも神様の憐れみと導きがあって、神様は、私たちに必要な別の道を用意してくださいます。

3)この出来事からから教えられること
このバベルの塔の出来事から、私たちが教えられることがあるように思います。2つのことを考えてみたいと思います。
一つ目のことは、「私たちもバベルの塔を築いていることはないか」ということです。私たちにとっても、「バベルの塔」と言えるものがあるのかもしれません。自分の誇りとし、とても大切にしているものです。自分の人生経験や、積み上げてきたキャリア、財産、学歴、功績など、いろいろあると思います。それらは素晴らしいことです。当然大切にしていいと思います。しかし、もし神様よりも大切になってしまったら、自分の力を誇り、高ぶってしまうことになるかもしれません。それも、神様が恵みによって与えてくださったものとして、感謝をし、へりくだる心を忘れないでいたいと思います。
二つ目のことは、「本当の一致とは何なのか」ということです。バベルの塔の出来事は、人が一致することの難しさを物語っているように思います。ことばが通じていても、いずれ意見の対立が起こって建設工事は中断していたかもしれません。人の中にある自己中心の思いがある限り、完全に一つになるのは難しいことです。しかし神様は、そのことに対する解決の道を与えてくださいました。私たちが一つとなれるように、イエス様がこの世界に来てくださいました。イエス様は、「隔ての壁」を打ち壊しました。(エペソ2:14,15)十字架によって、人を隔てている壁を取り去ってくださったのです。私たちは一人一人、性格や個性や価値観が異なります。しかし、キリストのもとに来る時、私たちは皆一つとされるのです。確かに、利害関係が一致しないこともあるでしょう。それでも、イエス様を真ん中に据える時に、相手の立場を思いやって、お互いの違いを認め合い、理解し合うことが可能にされるのではないでしょうか。
神様の前にへりくだって、本当の一致を求めてまいりましょう。