主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

創世記4:17-26「強い者と弱い者」    齋藤牧師

【礼拝メッセージ要旨】

今日の箇所には、その後のカインの子孫の歩みと、カインの弟として生まれたセツの子孫の歩みについて記されています。ここに、人の2つの生き方が示されています。彼らはそれぞれにどんな人生を歩んだのでしょうか。

1)カインの子孫が歩んだ道
カインは、神様から離れて、ノデの地に住み着いて、結婚をし、家庭を築きます。やがて男の子が生まれ、「エノク」(始まり)と名づけます。そうしてカインの子孫たちが代々増えていき、カインから6代目に「レメク」(強い者)という人が登場します。レメクは二人の妻をめとります。それは、神様が定めた結婚の制度(二人は一体となる)に反することでした。レメクは妻たちを力で自分に従わせようとします。また、自分を攻撃する者に対して何倍もの復讐をすると告げました(23,24)。彼の恐ろしさが感じられます。レメクの言葉には神様のことは一切出てきません。彼は、自分が神のようになって、自分の力を誇り、自分の力により頼んで生きていました。レメクの子どもたちは、農業、芸術、科学技術といった文化をそれぞれに築いて発展させていきます。しかし、彼らは神を認めるということはなかったようです。神抜きで、人間の力にだけ頼る文化・文明を築いていきました。
カインの子孫は、一見すると豊かな文化を築いて、繁栄したかのように見えます。自分たちの力により頼んで、「強い者」として生きていました。しかし、彼らはそれで本当に幸せだったでしょうか。そうではなかったと思います。神様を認めない、ということは、常に人と比較する社会であったと考えられます。彼らの中にはいつも不安や恐れや疑いがあったのではないでしょうか。殺伐とした愛のない社会であったと思われます。その後のカインの子孫のことは聖書には出てきません。神様を離れた先に、祝福の未来はなかったように思われます。

2)セツの子孫が歩んだ道
カインがアダムのもとを去った後、神様はアダムにもう一人の男の子を与えます。彼はその子をセツ(授ける、土台)と名づけます。神様への感謝の思いと、この子の上に神様との関係の土台を築きたいとの願いが込められていたと思います。このセツから、人類の流れが続いていくことになります。
やがてセツにも男の子が生まれ、「エノシュ」(弱い者)と名づけます。「レメク」(強い者)とは対照的な名です。セツは、アダムとエバのもとで、かつて彼らが神に背いてエデンの園を追われたことや、カインが犯した罪のことを聞いていたと思います。そして、人は罪深い者であって、神様から離れては生きていけない弱くてもろい存在だということがよく分かったのではないでしょうか。そしてこの時から、人々は神様を呼び求めるようになりました。彼らは、自分たちの弱さを認めて、神により頼む道を歩み始めたのです。セツの子孫の社会には、カインの子孫の社会のような物質的な豊かさや繁栄はなかったかもしれません。それでも、セツの子孫たちには、それにはるかに勝る大きな喜びがあったと思います。神様により頼んでいたからです。

3)自分の弱さを認めることの幸い
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」(マタイ5:3)自分の弱さや罪深さを自覚し、神により頼む人は幸いだと、イエス様は言われました。その人は、裸で神様の前に出て行って、イエス・キリストの十字架の救いを自分のものとして受け取ることができるからです。
セツの子孫は、神様を認め、神様により頼む生き方を選びました。片や、カインの子孫は、神様を認めず、自分の力に頼る生き方を選びました。ここに、2つの生き方が示されています。果たして、神様を信じて神様により頼む生き方は、世の人々が考えるような「弱い」生き方なのでしょうか。実は、自分の弱さを認めて神様により頼むことこそ、どんなことにも動じない「強い」生き方なのだと思います。「私が弱い時にこそ、私は強いからです」(Ⅱコリント12:10)
自分の力により頼む生き方には限界があります。私たちを造り、愛しておられる大きな神様により頼んで、幸いな人生を歩んでまいりましょう。