主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

創世記3:1-13「あなたはどこにいるのか」    齋藤牧師

【礼拝メッセージ要旨】

アダムとエバは、エデンの園で神様の声を聞きながら、お互いに助け合って幸せに暮らしていました。そんなある時、エバが蛇に誘惑されて、アダムもエバも神様の命令に背いてしまいます。この時から人類に罪が入りました。人はどうして罪へと誘惑されてしまったのでしょうか。そんな人間のことを神様はどのように取り扱われたでしょうか。

1)蛇の誘惑
蛇はエバに近づき誘惑を仕掛けてきました。蛇が言ったことは、神様が告げたことと微妙に違っていました。エバは、最初は神様に告げられた通りのことを答えますが、やがて、「触れてもいけない」「あなたがたが死ぬといけないから」と、神が告げていないことを答えてしまいます。そして蛇は決定的なことを告げました。「あなたがたは決して死なない」いつの間にか、「必ず死ぬ」が、「決して死なない」にすり替わってしまいました。エバは蛇の言葉を聞いているうちに、「ひょっとすると、そうかもしれない」「食べても死なないし、食べると神様のようになれる?」と思うようになったのではないでしょうか。そうして彼女が改めてその木を見てみると、その木はいかにも好ましく、とても魅力的に見えました。そしてついに、エバはその実を取って食べてしまいます。それだけではありません。一緒にいた夫のアダムにも与えて、彼も食べてしまいました。

2)誘惑の恐ろしさ
このところに、「誘惑」の恐ろしさが表わされています。私たちの周りにも誘惑となるものがあふれています。それは魅力的に見えるものであったり、人の言葉であったりするかもしれません。そして、自分でも気づかないうちに、神様の願わない方向、神様から離れる方へと、少しずつ誘惑されていくのです。
人はどうして誘惑されるのでしょうか。ヤコブ1:14に、「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです」とあります。つまり、誘惑されてしまう原因は自分の外にではなく、自分自身の中にあるということです。蛇の誘惑の声は、実は、彼ら自身の心の声でもあったのかもしれません。罪への誘惑があるのは仕方のないことですが、それを選び取るのは自分自身なのです。

3)神から隠れる人
彼らが禁断の木の実を食べてしまった結果、二人の目が開かれ、互いに恥ずかしいと思うようになりました。自分の本当の姿を知られることを恐れたのだと思います。そして、彼らは神様を避けるようになってしまいます。また、神様から問われると、自分の非を認めず、神様のせいにし、エバのせいにし、蛇のせいにしてしまいます(責任転嫁)。自分は悪くない、あの人が悪い、という自分中心の思いです。聖書は、すべての人はこうした罪の性質をもっていると言っています。

4)呼び求める神様
神様は、神に背いて罪を犯した人間に対して、「あなたは、どこにいるのか」と呼びかけられました。この言葉には、私たち人間に対する神様の熱い思いが込められているように思います。神様は、人が神様のことばを疑い命令に背いたことも、神様から隠れようとしたこともすべてご存じでした。神様から離れ、人間関係にも疑いや不信が起こり苦しむようになった人間たちのことを、神様はよほど悲しまれたのではないでしょうか。人が罪の中で苦しみながら生きていかなければならないことを、とても残念に思われたでしょう。そして、「あなたは、どこにいるのか」と問われました。この言葉には、神様の人を愛し、いつくしむ思いが表わされています。
神様は、私たちにも、「あなたは、どこにいるのか」と問いかけておられます。神様との関係で、「あなたは今、どこに立っているのか」と常に問われているように思います。「神よ。私の心を知ってください。私のうちに傷のついた道がないか教えてください」(詩篇139:23,24)といつも祈りながら、神様との関係、自分の立ち位置を確認していきたいと思います。そして、罪の誘惑を退けてまいりましょう。