主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

マタイ6:9-13「主の祈りに学ぶ③ ~私たちの必要のために~ 」    齋藤牧師

【礼拝メッセージ要旨】

今日は、主の祈りの後半部分から学びます。イエス様は、あなた方の必要のために祈りなさい、と言われました。ここに、3つの祈りが記されています。

1)日ごとの糧を
一つ目は、「私たちの必要のための祈り」です。「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください」(11節)この祈りからまず教えられることは、私たちは、「日ごとの糧」を祈り求める必要がある、ということです。「糧」とは、パンのことです。「今日一日生きるために必要なパンをお与えください」との祈りです。「一週間分まとめてください」ではありません。どうして「日ごと」(毎日)なのでしょうか?それは、毎日、パンを与えてくださるお方を覚え、受けている恵みを忘れないためです。もし、私たちが、与えられていることを当たり前のように受け止めるとしたら、いつしか自分の力で得たものだと思い込み、私たちを愛し、惜しみなく恵みを与えてくださっている神様を忘れてしまうこともあるかもしれません。そうならないように、毎日毎日、私たちに必要な糧を与えてくださる天のお父様に信頼して祈り求める必要がある、ということです。
また、「日ごとの糧」には、「みことば」も含まれると思います。私たちが生きていくためには、私たちの霊の糧である神様のみことばをいただく必要があります。それも、一週間に一度の「まとめ買い」ではなくて、毎日、聖書を開いて、新鮮な思いで、神様の語り掛けを聞きたいと思います。

2)私たちの負いめを
2つ目の祈りは、「罪の赦しを求める祈り」です。「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」(12節) 「負いめ」とは、「負債」の意味で、私たちが犯す「罪」のことです。聖書が言う「罪」とは、「神様という的を外れた生き方をしていること」です。それは、私たちの努力では到底返せないほど大きな負債です。しかし、天の神様は、イエス様の十字架の血潮によって、私たちが負っていた罪の負債を帳消しにしてくださいました。それでも、イエス様は赦しを求めて祈りなさい、と言われました。なぜならば、私たちは、神様に背いている罪は赦されていても罪を犯してしまうからです。誰でもねたみ心を抱いたり、自己中心な思いになったり、口で失敗して人を傷つけてしまいます。だからこそ、私たちは、毎日祈る必要があるのではないでしょうか。
また、この祈りは、「人の罪を赦すこと」とセットになっています。自分の罪を赦していただくことと、他人から自分になされた罪を赦すことです。人を赦す、ということは私たちにとって最も難しいことなのかもしれません。自分が神様に赦していただいたことを思い出して、私たちも、人を赦す者となりたいと思います。

3)試みに会わせないで
3つ目の祈りは、「悪からお救いください」という祈りです。「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください」(13節)この祈りには、「神様がお与えになる試練に会ったとき、その試練に耐えられるように助けてください」という祈りと、「悪魔の誘惑に会ったとき、誘惑に陥ることのないようにお守りください」という祈りが表されていると思います。特に、私たちにとって、試練に耐えることよりも誘惑に打ち勝つことの方が難しいのではないでしょうか。サタンは、そんな私たちの弱さをよく知っていて、巧妙に誘惑を仕掛けてきます。私たちは日々、多くの誘惑にさらされています。だからこそ、私たちは、毎日、誘惑に陥らないようにと祈り求める必要があります。
イエス様は、私たちの必要をすべてご存じの上で、それを祈り求めなさい、と言われました。それは、私たちが神様にますます信頼し、より頼む者となるためです。私たちの必要のために、真剣に祈り求めてまいりましょう。