主日礼拝メッセージ(赤文字をクリックするとメッセージが聴けます。MP3ファイル)

マタイ6:5-8「主の祈りに学ぶ① ~祈りのこころ~ 」    齋藤牧師

【礼拝メッセージ要旨】

今日から3回に渡って、主の祈りに関連して学びたいと思います。
今日の箇所で、イエス様は、パリサイ人たちの間違った祈りの姿を指摘しながら、「祈りの姿勢」について大切なことを教えておられます。

まず第一に、私たちが祈りをささげるお方は「あなたの父」であるということです。
6節でイエス様はこう言っておられます。「隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい」私たちが祈りをささげるお方は、ただ単に大きな神様ということではなくて、「あなたの父、つまり私のお父さん」です。イエス様を心にお迎えした時に、天の神様は私たちを「神の子ども」として迎え入れてくださいました。私たちは、天の神様と「父と子」の関係に入れられたのです。神様への祈りは、私を愛し、いつも温かく見守っていてくださる「天のお父さん」に対して、応答し、親しく語りかけることです。その天のお父様に、実の父親のように、いつでも何でも呼びかけることができることは何という幸いでしょうか。

第二に、「神様にのみ、心を向けて集中して祈る」ことです。
「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい」(6節)とイエス様は言われました。「自分の奥まった部屋に入って祈る」とは、どういうことでしょうか?これは、自分の素の姿で神様の前に出て行って、祈りには関係ないものを締め出して祈る、ということだと思います。祈りながら関係ないことを考えたり、心に浮かんだりして祈りに集中できないことがあります。そんな時は、自分の心の玄関先でしか神様に会っていないのかもしれません。自分の心の深いところに神様をお迎えして、自分を明け渡して祈ることが大切です。それは、決して一人になれる静かな場所である必要はありません。運転しながらでも、お風呂に入りながらでも、仕事しながらでも、ちょっとでも神様に思いを向けて祈ることできます。心からの祈りは、確実に天のお父様に届いています。

第三に、「形式的な祈りにならないように気をつける」ことです。
「異邦人のように同じことばを、ただ繰り返してはいけません」(7節)とあります。つい、毎日同じことを繰り返し、習慣的に祈っているということはないでしょうか。気をつけないと、心のこもっていない、ことばだけの表面的な祈りになっているかもしれません。祈りの量や形にとらわれないで、自分のことばで心からの祈りをおささげしたいと思います。

最後に確認したいことは、「神様は私たちの祈りを待っておられる」ということです。
8節に、「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられる」とあります。ここを読んで、ある人は、神様が私たちの必要を知っておられるなら祈る必要はないのでは、と考えるかもしれません。それでも神様は、私たちに「祈りなさい」と言っておられます。それはどうしでしょうか?
それは、天の神様が「私たちのお父様」だからです。子どものことを心配しない親はいません。どんな小さなことでも、子どもが話しかけてくれることを喜んで聞くと思います。そのように、天のお父様は、私たちが祈りによって応答し、呼びかけることを本当に喜んでくださいます。神様は、私たちとの親しい交わりを求めておられます。祈りを通して、天のお父様と私たちの信頼関係がますます深く、強くされていくのではないでしょうか。
いのちの日の限り、天のお父様に心を尽くして祈り続けてまいりましょう。